旧石器時代
約3万年前からこの地に人が住む(村上、萱田遣跡)
古墳時代
新川流域に豪族が住む(桑納、神野古墳)
承平年間(931~938年)
最古の漢和辞書「倭名類聚抄」に印旛郡村神(村上)郷の名が記される
元和元年(1615年)
佐倉藩主土井利勝が、江戸から佐倉に至る道(現成田街道)を開く
享保9年(1724年)
平戸の染谷源右衛門が印旛沼の開削を始める。資金難で中止
安永9年(1780年)
島田の信田治郎兵衛らが印旛沼の開削を幕府に願い出る。田沼意次の失脚で中止
天保14年(1843年)
幕府が印旛沼開削。水野忠邦の失脚で中止
明治5年(1872年)
大和田郵便局開設
明治6年(1873年)
米本小学校(現阿蘇小)出戸小学校(現大和田小)東小学校(現睦小)村上小学校が 開校
明治22年(1889年)
大和田村など7村が合併、大和田村となる。
桑納村など11村が合併、睦村となる。
米本村など7村が合併、阿蘇村となる
明治24年(1891年)
大和田村が町制を施行、大和田町になる
明治39年(1906年)
千葉電灯が大和田街道に送電塔設置
大正9年(1920年)
阿蘇村で梨づくりが始まる
大正15年(1926年)
京成電鉄成田線開通、大和田駅が開業
昭和20年(1945年)
B29、米本地域を空襲。死者11人でる
昭和23年(1948年)
東洋バス、大和田~岩戸間で開通
昭和29年(1954年)
「八千代町誕生」干葉郡大和田町と睦村が合併、八千代町が生まれる。同年9月印旛郡阿蘇村を合併、人口15,618人
昭和31年(1956年)
京成八千代台駅開業
昭和32年(1957年)
日本初の大規模住宅団地、八千代台団地完成
昭和33年(1958年)
広報やちよ創刊
昭和34年(1959年)
八千代電報電話局開局
昭和39年(1964年)
消防団常備部(消防本部の前身)発足
昭和41年(1966年)
最後の分校、睦小塙分校と東分校廃止。市内初の県立高校、八千代高校開校
昭和42年(1967年)
「市制施行」人口41,574人で市制施行。千葉郡の名がなくなる
昭和43年(1968年)
国道16号、米本~島田間開通。京成勝田台駅開業。勝田台団地入居
昭和44年(1969年)
市内初の図書館「大和田図書館」オープン
昭和45年(1970年)
千葉県内陸鉄道促進期成同盟が発足(東葉線の原点)。県道船橋~佐倉線「成田街道」が 国道296号となる。国道16号、米本~辺田前間開通。県内トップの人口増加率。米本団地入居開始
昭和46年(1971年)
市の木が「つつじ」に決まる
昭和47年(1972年)
高津団地入居開始
昭和48年(1973年)
人口10万人を超す。市民会館開館。
若潮国体開催、八千代が相撲会場となる。村上で大遺跡群発見
昭和50年(1975年)
第一次基本構想スタート。佐倉市西志津地区の一部、八千代市に編入。
ふるさと祭りが始まる。人口10万以上の市で全国一の人口増加率
昭和51年(1976年)
一般会計予算100億円を超す。
初の市民の森、八千代台西にオープン。村上団地入居開始
昭和52年(1977年)
中期5か年計画策定。大和田公民館オープン
昭和55年(1980年)
八千代警察署開署、市民体育館開館
昭和56年(1981年)
第2次5か年計画策定。
村上橋開通、佐藤忠良作ブロンズ像「太陽」と「緑」設置。
東葉高速鉄道株式会社設立
昭和57年(1982年)
一般会計予算200億円を超す
昭和58年(1983年)
「潤いのある街づくり」で自治大臣表彰
昭和59年(1984年)
第1回八千代少年少女洋上教室開催、新川大橋、なかよし橋開通
昭和60年(1985年)
東葉高速鉄道の工事始まる、保健センターオープン
昭和61年(1986年)
爆の石(広島市旧庁舎の外壁)を使った平和祈念碑設置。
総合計画(第2次基本構想)策定。茨城、兵庫、広島の八千代町と姉妹都市提携
昭和62年(1987年)
市制施行20周年を迎える。緑の都市宣言。平和都市宣言。
ゆりのき台団地入居開始。財団法人・八千代花と緑の基金設立。
昭和63年(1988年)
市内初の大学、八千代国際大学(現秀明大学)開学。
原爆資料展開催。星襄一版画展示室オープン(平成23年7月末閉館)